ここで管理人が廃線跡にハマるまでの経緯をお話ししたいと思います。
管理人が小学校1年の3月でした。大阪に向かう時に利用していた南海高野線で衝撃的なことが起こります。和歌山との府県境の山岳区間が天見川(あまみがわ)沿いの渓谷を走る単線から、トンネルを多用した複線に切り替わったのです。物心ついた時には工事が始まっていて、新線に変わる時を楽しみにしていました。
ところが、実際に新線になってみると、車窓の半分は闇、闇…。いま思うと当たり前の話なのですが、この体験が1つの考えに至ります。
「新しい線路より、旧い線路のほうがエエやん!」
どんな小学校低学年だ!という話ですが、とにかくこの原体験が管理人に大きなインパクトを与えました。
和歌山線北部周辺は、高野線だけでなく、和歌山線川端支線(1度だけ貨物列車を見たことがあります)や高野山への森林軌道、五新鉄道など、廃線跡や未成線に恵まれた地域ということもあり、どんどん興味をもつようになっていきます。
高野線の複線化予定区間で最後に残った1区間の工事が始まり、トンネルや車庫などの建設が始まると、土日には毎週のように見物に出かけるようになりました。荷物カゴに置いたラジオで近鉄バファローズのデーゲームを聴きながら自転車に乗るという、とても中高生とは思えない行動に出ていました(今ならとてもできません!) ここで、新線と旧線の入れ替わりを約5年に亘り見続けることができたのは、今となっては貴重な体験になっています。
運転免許を取得すると、車であちこちの旧線跡を見に行くようになります。県内の野上電鉄・有田鉄道、県外では川端支線・五新鉄道、さらには三重県の近鉄大阪線青山峠旧線まで。かなりの場所を訪れました。自然に還りかけた廃線跡を探し回ったり、携帯電話やスマートフォン、デジカメで写真や動画をたくさん撮ったり。通りがかりの地元の人たちに廃線前のことをお聞きしたり、街並みや名産品を買ってみたり… 廃線跡を巡りの「本当の魅力」に気づいたのは、この頃だったのです。